久美浜の歴史・細川家とのつながり

細川ガラシャ(細川ガラシャ:明智光秀の三女たま・1562-1600)

     戦国に散った一輪の花

 

【久美浜と細川家とのつながり】

戦国時代に細川家は丹後の国の領主となり、松井康之は久美浜城を任せられ<久美浜城・別名松倉城>城主になりました。松井一族の働きぶりを見た「豊臣秀吉」は康之を石見半国18万石の大名にとりたてると申し出ましたが康之はこのまま細川家に仕えることを希望して辞認しました(寛政種修諸家譜)

 

慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの際には細川藤考の子忠興(細川ガラシャの夫)が東軍の徳川家康に属したため、松倉城は西軍によって焼き払われました。戦後には忠興は豊前国小倉城主として移封となり、また松井康之もまた豊後国杵築に移封となったため<久美浜城・別名松倉城>は廃城となりました。

細川ガラシャ:関ヶ原の合戦の折り、人質として夫の足手まといになることを潔して悲運の最期をとげた(1600・38歳)

散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ

このように久美浜と細川家は深いつながりがあります。