丹後王国「久美浜」波乱万丈の歴史

丹後建国1300年

久美浜には波乱万丈の歴史があります!

☆原始時代(縄文~弥生時代):紀元前1世紀~紀元2世紀

  丹波道主命説(BC88)。娘ヒバス姫、垂仁天皇(BC29-AD70)の后となる。

☆原始時代~古代(古墳時代):紀元2世紀~590年頃

  丹後は4世紀~6世紀に栄えた(丹後王国)

☆古代(飛鳥時代):590年~710年頃

  古代以降大和政権に敗れ、丹後は辺境となり、歴史は消されてゆく。

★古事記も日本書紀も大和朝廷関係者で作られたもの、神々も伊勢神宮へ集約され、地方の神々も影が薄くなっていく。

☆奈良時代(平城京):710年~794年

  713年(和同6年)丹波を分けて5郡に、熊野郡できる。

☆平安時代(平安京)

  久美庄(久美浜湾周辺部)となる

☆鎌倉時代(1192年~1333年)都から有名な僧、天皇勅使が多く訪れる(本願寺如意寺・久美の浜)恵心僧都、法然上人、一遍上人(国宝「一遍上人絵伝」)など

☆南北朝時代(~1392年)

  久美浜は丹後有数の人口密集地(丹後御檀家帖)・三谷に白川城(伊賀氏居城)

☆安土桃山時代(1573年~1603年)

  1580年織田信長が細川幽斎(藤高)に丹後を与える。久美浜は松井康之が松倉城へ入城。20年間統治。「うなぎの寝床」と呼ばれる町家や道路、河川も区画整理し城下町の形を整えた。(平成23年1月18日「京都府景観資産」登録・城下町に由来する風情ある久美浜の街並み)

宗雲寺

松井康之<宗雲寺>再建

(四国ミニ88か所めぐり庭園)

 

1600年細川家功績により九州熊本移封、京極高知、丹後入封(1601年)

晩秋の宗雲寺

 

 

(晩秋の宗雲寺:久美浜有数の紅葉の名所です)

☆江戸時代(1603年~1863年:265年間)

 東稲葉様宅に展示された「屋形舟」

 久美浜は「海道」と呼ばれ、北前舟による貿易でにぎわう(日本海⇒久美浜湾)・稲葉本家、湊五軒家などが勃興、上方、都から文人墨客来訪多し。

 

代官所をイメージした<久美浜駅>

 1735年(享保20)久美浜代官所設置(丹後・但馬7万石)・代官塩谷大四朗の活躍(久美浜湾の魚による生業多し、新田開発)

(代官所をイメージして建てられた久美浜駅)

☆明治維新(1868年)久美浜は久美浜縣(5か国23万石)の県庁所在地となって繁栄。一区内の複数寺院を縣立小学校、縣立病院として活用。

  1871年豊岡縣へ編入される、隆盛は一気にしぼむ。

  1876年(明治9年)久美浜・京都府へ編入。一区は郡都として繁栄

☆大正3年 完成した水戸口を活用、城崎~久美浜間、発動汽船定期航路開通。

☆昭和4年12月15日 宮津線(豊岡~久美浜間)開通(稲葉家の功績大)

SL

☆昭和7年8月10日 宮津線全線開通

 

 

☆昭和33年5月3日 昭和の大合併(一郡一町・熊野郡久美浜町誕生)

☆平成16年    平成の大合併(熊野郡が消える)

現在:京都府京丹後市久美浜町